いいお肌の日(11月8日 記念日)
スキンケアブランド「Dove」(ダヴ)を発売するユニリーバ・ジャパンが制定。
日付は「いい(11)は(8)だ」(いい肌)と読む語呂合わせから。女性の美しい肌の大切さを社会的にアピールする日。「Dove」は、女性の美をサポートするスキンケアブランドとして多くの女性を支援してきた。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定、登録された。
スキンケアブランド「Dove」(ダヴ)を発売するユニリーバ・ジャパンが制定。
日付は「いい(11)は(8)だ」(いい肌)と読む語呂合わせから。女性の美しい肌の大切さを社会的にアピールする日。「Dove」は、女性の美をサポートするスキンケアブランドとして多くの女性を支援してきた。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定、登録された。
「立冬(りっとう)」は、「二十四節気」の一つで第19番目にあたる。現在広まっている定気法では太陽黄経が225度のときで11月7日頃。
「立冬」の日付は、近年では11月7日または11月8日であり、年によって異なる。2024年(令和6年)は11月7日(木)である。
「立冬」の一つ前の節気は「霜降」(10月23日頃)、一つ後の節気は「小雪」(11月22日頃)。「立冬」には期間としての意味もあり、この日から、次の節気の「小雪」前日までである。
秋が極まり冬の気配が立ち始める頃なので「立冬」とされる。暦の上では冬の始まりとされ、この頃は太陽の光が弱くなり、朝夕など冷え込む日が増える。
江戸時代の暦の解説書『こよみ便覧(べんらん)』では「冬の気立ち始めて、いよいよ冷ゆれば也」と説明している。言い換えれば秋の極みとも言え、実際、多くの地域ではまだ秋らしい気配が残り、紅葉の見時でもある。
「秋分」(9月23日頃)と「冬至」(12月22日頃)の中間で、昼夜の長短を基準に季節を区分する場合、この日から「立春」(2月4日頃)の前日までが「冬」となる。北国や高地では初冠雪の知らせが届く頃でもある。季語には「冬立つ」「冬入る」「冬来たる」などを用いる。
「立冬」の日付は以下の通り。
日本で古くから冬の保存食として伝わる「干し柿」は、この頃に作り始める。干し柿は、よく晴れた日に天日に干して作られる。また、寒風にさらすことで乾燥が進み、甘みが増す。水分が抜けて甘みが凝縮された干し柿は、自然な風味が楽しめる。
「立冬」にちなんだ記念日は多く、「鍋の日」「巻寿司の日」「鍋と燗の日」「立冬はとんかつの日」「夜なきうどんの日」「腸温活の日」「ココアの日」「湯たんぽの日」がある。
1947年(昭和22年)のこの日、東京の多摩川河畔で集団お見合いが開催された。
結婚紹介雑誌『希望』が主催したもので、戦争のため婚期を逃した20~50歳の男女386人が参加した。会場で相手を探し、終了後、最高3人までの身上書を申し込むという仕組みだった。
戦後まもない1947年11月6日に東京の多摩川河畔で、大々的なお見合いパーティーが開催されました。結婚紹介雑誌「希望」が主催したもので、戦争で婚期を逃した人たちに結婚の機会を与えるという趣旨のもと開催され、386人の男女が参加しました。
このお見合いパーティーを記念するということで、11月6日は「お見合い記念日」に制定されています。現代ではお見合いで結婚するという夫婦は減りましたが、お見合いは長く続いた日本の文化のひとつです。そこでここでは、お見合いについての雑学をご紹介します。
11月6日はお見合い記念日ですこの記事の写真をすべて見る
お見合い結婚は全体の5.5%にまで低下
岩波国語辞典によると、見合いは「結婚するかどうかを決めるために、他人をなかだちとして、お互い知らない男と女が会うこと」とあります。今の若い人には信じられないかもしれませんが、1960年代末までは、恋愛結婚よりも親や縁戚が決めた相手と結婚する見合い結婚のほうが多数派でした。
戦時中は69.1%がお見合い結婚で、恋愛結婚はたったの14.6%。つい80年前には「恋愛結婚なんて信じられない」なんて言われていた時代があったわけです。そこから徐々に日本の高度経済成長が始まり、それに合わせて見合い結婚率が減っていきました。
2010~2014年のお見合い結婚の割合は5.5%です。これに対して「そんなにもいるの?」と思うかもしれませんが、お見合いの定義からすると結婚相談所やお見合いアプリなども、お見合いに分類されます。そうなると20組に1組がお見合いだとしても不思議ではありません。
そんな歴史とともに変わってきたお見合いですが、せっかく「お見合い記念日」ですから、日本のお見合いの歴史を紐解いていきましょう。
参考
夫妻の結婚過程|国立社会保障・人口問題研究所
戦後しばらくはお見合い結婚が一般的でしたが、近年お見合いによる結婚が減っています
お見合いの始まりは鎌倉時代
お見合いの歴史は長く、始まりは鎌倉時代の政略結婚だと言われています。鎌倉時代以前は公家の力が強く、公家同士での婚姻があたり前でしたが、鎌倉時代に入ると武家の力が強くなり、武家は良縁を求めて、お見合いで公家や家柄のいい武家と婚姻するケースが増えていきました。
ちなみに鎌倉時代以前の公家社会では、婿が嫁の家に入る「婿取婚」が基本でしたが、武家の時代になり武家は自分の土地から離れることができないこともあり、この時代から「嫁取婚」が主流になり、現在でも続いている父系制へと続いていきます。
当時のお見合いはまだ上流階級だけのもので、庶民にまで広がったのは江戸時代のことです。江戸時代中期には、肝煎所と呼ばれる結婚媒介業が登場します。ただし、西日本の沿岸部では自由恋愛が行われ、家と家の問題がついてくる窮屈な結婚を強いられる町人や商人からは羨ましがられていたという言い伝えもあります。
とはいえ一部の地域を除いて、江戸時代から昭和初期までは自分の意思では結婚することができず、さらに戦争が始まると家制度がさらに厳しくなり、お見合い結婚といえども断ることができない強制結婚に近い状態が続きました。
中世の結婚と離婚:史実と狂言の世界
自由恋愛の時代にも残るお見合いというシステム
1945年に終戦を迎えた第二次世界大戦。そこから日本の法律が変わり、結婚は家のものではなく個人のものとなりました。そして高度経済成長時代へと突入していくわけですが、ここで都市部に若者が集中するようになり、職場で結婚相手を見つけるという人が増えていきます。
これによりお見合い結婚は減り、恋愛結婚が主流となります。それでも恋愛結婚をしない人に対して親がお見合いを勧めるという話は少し前までそれほど珍しい話ではありませんでした。1990年代前半には、まだ10組に1組がお見合い結婚でしたが、そこからさらにお見合い結婚の割合が減っていったのはすでにお伝えしたとおりです。
それでもお見合いそのものがなくなったわけではありません。親が強制的に結婚させるということはもうほとんどありませんが、自由恋愛をベースにした婚活パーティーや結婚相談所といった形でお見合いは今でも残っており、大きなビジネスにもなっています。
晩婚化が進んでいることから、国や自治体が主体となって婚活パーティーや婚活イベントを開催することもあります。いずれ結婚はしたいけど、なかなかいい出会いがなくて困っているという人は、このような現代版のお見合いを上手に活用して、パートナーを見つけるのもいいかもしれませんね。
2024年の立冬は、11月7日から11月21日です。毎年11月7日頃~11月21日頃にあたりますが、日付が固定されているわけではありません。二十四節気は季節の移り変わりを知るために、1年を約15日間ごとに24に分けたものですが、太陽の動きに合わせて1年を24等分して決めるので一定ではなく、1日程度前後することがあるからです。
そのため、立冬といっても、立冬に入る日を指す場合と、立冬(二十四節気の第19)から小雪(二十四節気の第20)までの約15日間をいう場合があります。
この時期になると、冬の使者「木枯らし」がやってきます。その名の通り、吹くたびに葉を落とし、まるで木を枯らしてしまうように見えることからそう呼ばれています。西高東低の冬型の気圧配置になってから、風速8m以上の北寄りの風が吹くと「木枯らし1号」と発表されます。
▷詳しくは「木枯らしとは?意味・木枯らし1号が吹く時期・東西で違う基準・季語や俳句など 」をご覧ください。

「木枯らし」が吹くたびに葉が落ちていきます
なお、二十四節気では、立冬の前は霜が降り始める頃という意味の「霜降」で、立冬の次は雪まだ大ならずという意味の「小雪」となり、冷え込みが進んで山のほうでは雪が降る頃となります。
~立冬前後の二十四節気の移り変わり~
霜降 → 立冬 → 小雪
二十四節気をさらに3つに分けた七十二侯は、立冬の間にこのように移り変わります。
日付は、2024年の日付です。
●初侯:山茶始開(つばきはじめてひらく)11月7日頃
山茶花(さざんか)の花が咲き始める頃です。昔からサザンカとツバキはよく混同されてきたため、「山茶始開」と書いて、「つばきはじめてひらく」と読まれました。もともと山茶花はツバキを指していましたが、混同され、サザンカの名称として定着したといわれています。
↓
●次侯:地始凍(ちはじめてこおる)11月12日頃
大地が凍り始める頃。地中の水分が凍ってできる霜柱がみられるようになります。舗装が多くなり、霜柱をみる機会も減りましたが、サクサクと霜柱を踏みしめる感触が楽しめる季節になります。
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●末侯:金盞香(きんせんかさく)11月17日頃
スイセンの花が咲き、よい香りを放つ頃。通常、スイセンは「水仙」と書き、キンセンカという別の花もありますが、ここでいう金盞は金の盃(さかづき)という意味で、花の内側の黄色い部分を金の盃に見立て、スイセンを指しています。なお、スイセンには、黄色い内側を金の盃に、白い外側の部分を銀の台に見立てた「金盞銀台」という異名があります。

スイセンを金の盃に見立てた金盞香(きんせんかさく)
日々寒さが増すなかで、本格的な冬に向け準備を始める時期です。衣類や寝具のみならず、暖房器具もそろそろ準備しておきたいですね。
ちょうどこのころ「亥の子の日」がめぐってきます。「亥の子の日」とは、本来は旧暦10月の最初の亥の日のことですが、今は11月の第一亥の日(2024年は11月7日)を指すのが一般的です。日本の文化に深く関わる陰陽五行説において「亥」は水にあたり火に強いとされているため、「亥の子の日」に「こたつ開き」や「炉開き」(火を使うこたつや炉を使い始めること)をすると火事にならないと言われてきました。現在は火を使うこたつではありませんが、暖房器具を準備する好機になっています。
また、子どもをたくさん産むイノシシにあやかり、イノシシの子に見立てた「亥の子餅」を食べ、収穫祝いや無病息災、子孫繁栄を祈願する習わしが主に関西でみられます。茶道の炉開きでも、亥の子餅を食べるところが多いです。
そして、立冬には酉の市や七五三があります。
2015年(平成27年)12月の国連総会により制定。国際デーの一つ。英語表記は「World Tsunami Awareness Day」。
日付は1854年(安政元年)11月5日に和歌山県で起きた大津波の際に、村人が自らの収穫した稲むらに火をつけることで早期に警報を発し、避難させたことにより村民の命を救い、被災地のより良い復興に尽力した「稲むらの火」の逸話に由来している。この大津波は南海トラフ巨大地震の一つとされる安政南海地震によるもので、紀伊半島や四国などを大津波が襲った。
この国際デーは、日本をはじめ142ヵ国が共に提案したもので、津波の脅威について関心が高まり、その対策が進むことが期待される。また、総会の決議の具体的な内容としては、早期警報・伝統的知識の活用・「より良い復興」を通じた災害への備えと迅速な情報共有の重要性を認識すること、すべての加盟国・組織・個人に対して、津波に関する意識を向上するために、適切な方法で「世界津波の日」を遵守することを要請することなどが含まれている。
日本では、2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災による甚大な津波被害を踏まえ、同年6月に制定された「津波対策の推進に関する法律」において、広く津波対策についての理解と関心を深めることを目的として、毎年11月5日を「津波防災の日」と定め、全国で様々な活動や教育に取り組んでいる。