2024年09月 アーカイブ

9月19日は苗字の日です

苗字の日(9月19日 記念日)

1870年(明治3年)のこの日、戸籍整理のため、「平民苗字許可令」という太政官布告により平民も苗字を名乗ることが許された。

それまでは苗字を名乗るのは貴族と武士の特権だった。しかし、許可令が出されても、読み書きが不得手の人が多く、また、当時国民は明治新政府を信用しておらず、苗字を付けたらそれだけ税金を課せられるのではないかと警戒し、なかなか広まらなかった。

そこで、1875年(明治8年)2月13日、「平民も必ず姓を称し、不詳のものは新たにつけるように」と苗字を名乗ることを義務づける「平民苗字必称義務令」という太政官布告が出された。これに由来して2月13日は「苗字制定記念日」となっている。

名札バッジ

「苗字」は「名字」とも書き、意味は同じである。戦後の1946年(昭和21年)に発表された当用漢字表に「苗」の漢字の読み方として「みょう」が加えられなかったため、現在では「名字」を使用するのが一般的になっている。

2023年(令和5年)3月時点で、日本において最も人数の多い苗字は「佐藤」で、約184万人となっている。続いて2位は「鈴木」で約178万人、3位は「高橋」で約139万人、4位は「田中」で約132万人、5位は「伊藤」で約106万人となっている。

9月18日はアコーディオンの日です

ご存知楽器のアコーディオンの記念日です。

アコーディオン「Bébé Medusa」の日(9月18日 記念日)

歌とアコーディオンの姉妹ユニット「チャラン・ポ・ランタン」の二人が代表・副代表を務める合同会社ゲシュタルト商会が制定。

「Bébé Medusa」(ベベメデューサ)とは、姉の小春(こはる)がプロデュースした手ごろな値段のボタンアコーディオンで、予約販売を開始した2021年(令和3年)9月18日に一晩で500台以上売り上げを記録し、業界に旋風を巻き起こした。記念日を通して、多くの人にアコーディオンを広めることが目的。

Bébé Medusa

日付は500台以上売り上げた日が日本で一番アコーディオン弾きが増えた日との思いから9月18日を記念日としたもの。記念日は2023年(令和5年)に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。

チャラン・ポ・ランタンの小春は、「手頃なアコーディオンを販売したらもっと気楽にアコーディオンを手にしてなんだったら未来のアコーディオンプレイヤーがちゃっかり増えたりなんかするんじゃなかろうか。」という思いから「Bébé Medusa」を販売することにした。

「いや、何となく弾いてみたいという人がワンサカ増えるべきなんだ。だって音楽って何となく楽しいよね、なんかやってみたくなったから始めちゃお~、てな気持ちで最初は始めるものでしょう。」

「販売するアコーディオンはおそらく高級な、しっかりとした、劇的に質の良い、といった楽器ではないかもしれないけれど、初めて手にした日から多分めちゃんこ楽しい日々が待っていることは間違い無いと思うんだよな。」

Bébé Medusa(中型)
Bébé Medusa(中型)

「Bébé Medusa」には中型(税込219,780円)と小型(税込109,780円)がある。中型はサイズ:幅約40cm・高さ約40cm・奥行き約20cm、重さ:約9.2kg、ベース(左手ボタンの数):96ベース、切り替えボタン:M|MM|ML|MML|L(5種類)。小型はサイズ:幅約33cm・高さ約36cm・奥行き約19cm、重さ:約6.1kg、ベース:72ベース、切り替えボタン:なし。

中型のアコーディオンは本来これくらいのスペックだと30万円前後(高いと50万くらい)してしまうところ、色々と手頃にするべく色々と頑張って、値段も重さもアコーディオン界ではビックリお手頃となっている。

チャラン・ポ・ランタン

チャラン・ポ・ランタンの所属レーベルは円盤ゲシュタルト(2022年~)。所属事務所は合同会社ゲシュタルト商会。メンバーは、もも(ボーカル)と小春(アコーディオン)で二人は実の姉妹。共に東京都出身(千葉県生まれ)、共に和光高等学校出身。

『歌とアコーディオンの姉妹ユニット』として2009年(平成21年)7月から活動を開始。シャンソンや民俗音楽などを主体に、様々なジャンルの要素を取り入れた音楽性やサーカス風の独特な世界観が特徴となっている。大道芸を下地とした路上ライブなど幅広い音楽活動を行い、海外では「オルタナティブ・シャンソン」とも評される。

たまには数独でもやってみませんか?

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9月17日は中秋の名月の日です

中秋の名月(9月・10月 年中行事)

旧暦8月15日~16日の夜(八月十五夜)の月を「中秋の名月(ちゅうしゅうのめいげつ)」と呼ぶ。古くから月見をして美しい月を愛でる慣習がある。

望月(もちづき)
望月

日付は「秋分」(9月23日頃)の前後半月の期間(1ヵ月間)の中で変動する。十五夜の日は満月の日に近い日ではあるが、必ずしも両者は一致するものではなく、むしろ異なる場合の方が多い。その差は最大で2日である。

中秋の夜に雲などで月が隠れて見えないことを「無月(むげつ)」、中秋の晩に雨が降ることを「雨月(うげつ)」と呼び、月が見えないながらもなんとなくほの明るい風情を賞するものとされる。

「望(ぼう・もち)」は満月を指す。俳諧では旧暦8月14日~15日の夜を「待宵(まつよい)」、16日~17日の夜を「十六夜(いざよい)」と称して名月の前後の月を愛でる。

月見の飾り
月見の飾り

また、旧暦8月15日は、日本の六曜で必ず仏滅になることから、俗に「仏滅名月」とも呼ばれる。英語圏では同時期の満月を表す表現として「Harvest Moon」や「Hunter’s Moon」がある。

「中秋の名月」の日付は以下の通り。

  • 2016年9月15日(木)
  • 2017年10月4日(水)
  • 2018年9月24日(月)
  • 2019年9月13日(金)
  • 2020年10月1日(木)
  • 2021年9月21日(火)
  • 2022年9月10日(土)
  • 2023年9月29日(金)
  • 2024年9月17日(火)

「中秋の名月」に由来する記念日には「すっぽんの日」「月見酒の日」がある。また、旧暦9月13日~14日の夜は「十三夜(じゅうさんや)」と呼ばれ、中秋の名月に次いで月が美しいとされる。

9月16日は敬老の日です

敬老の日(9月第3月曜日 国民の祝日)

国民の祝日」の一つ。「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことを趣旨としている。

国民の祝日

「敬老の日」は、兵庫県多可郡野間谷村(現:多可町八千代区)の門脇政夫村長が提唱した「としよりの日」が始まりである。

「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」と、1947年(昭和22年)から、農閑期に当たり気候も良い9月中旬の15日を「としよりの日」と定め、「敬老会」を開いた。1950年(昭和25年)からは兵庫県全体で行われるようになり、それが全国に広がった。

老人を中心とした家族

その後、1966年(昭和41年)に国民の祝日として9月15日が「敬老の日」に制定された。

9月15日という日付については、聖徳太子が四天王寺に悲田院を建立した日や、元正天皇が養老の滝に御幸された日などの俗説もあるが、どちらも確かではない。

2002年(平成14年)までは9月15日を「敬老の日」としていたが、「祝日法」の改正でハッピーマンデー制度が実施され、2003年(平成15年)からは9月の第3月曜日となった。

「敬老の日」の日付は以下の通り。

  • 2016年9月19日(月)
  • 2017年9月18日(月)
  • 2018年9月17日(月)
  • 2019年9月16日(月)
  • 2020年9月21日(月)
  • 2021年9月20日(月)
  • 2022年9月19日(月)
  • 2023年9月18日(月)
  • 2024年9月16日(月)

この日には、自治会や町内会、老人福祉施設などで高齢者の長寿を祝う行事として、高齢者による踊りや演奏の披露、子ども達との交流会などが開催される。また、家族や親族が集まって食事会をしたり、日頃の感謝の気持ちを込めて祖父・祖母にプレゼントを贈ったりする。

「敬老の日」と同様の趣旨の記念日として、「老人福祉法」によって定められた、9月15日の「老人の日」、9月15日~21日の「老人週間」がある。

また、「敬老の日」にちなんだ記念日は数多くあり、「心・血管病予防デー」「グランド・ジェネレーションズ デー」「海老の日」「まごの日」「ひじきの日」「シルバーシート記念日」「レクリエーション介護士の日」がある

9月15日は関ケ原合戦の日です

皆さん”関ケ原の合戦”という話を聞いたことがありますか?どのような意味があった合戦だったのでしょうか。

関ケ原合戦の日(9月15日 記念日)

岐阜県不破郡関ケ原町に事務局を置き、観光客が来て見て楽しめるまちにするために関ケ原の魅力的な情報を発信する一般社団法人・関ケ原観光協会が制定。

日付は「関ケ原合戦」が始まった慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)から。

安土桃山時代に東軍と西軍に分かれて行われた大規模な合戦で、「天下分け目の戦い」としてその後の日本の行く末を決定した「関ケ原の戦い」。

関ケ原の戦い

記念日を通して関ケ原合戦が行われた日を広く世間に知ってもらい、この歴史的な転換日を関ケ原の地域資源として、関ケ原の地の活性化に繋げることが目的。記念日は2022年(令和4年)に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。

関ケ原古戦場跡

関ケ原は「天下分け目の戦い」が繰り広げられた地。現在では岐阜県不破郡関ケ原町に位置し、その地は岐阜県の西南端、伊吹山の南東麓に位置する。主戦場となった「関ケ原古戦場跡」は国指定の史跡となっている。

岐阜関ケ原古戦場記念館

また、関ケ原町には歴史の1ページを体中で感じられる体験型の施設として「岐阜関ケ原古戦場記念館」が建てられている。同館では関ケ原合戦についての映像を見ることができ、シアターでは映像に合わせて音と風と振動でまるで当時の合戦の現場にいるような感覚になれる。関ケ原合戦グッズや岐阜のお土産を購入できる売店ショップもある。

「関ケ原」という地名の由来は、「関所」のある「原っぱ」だった、という一説がある。現在の「関東」「関西」という呼び名も、“関”ケ原を境にしているからとも言われている。

戦国最大ともいわれる天下分け目の戦「関ケ原の戦い」は、石田三成(いしだ みつなり、1560~1600年)率いる西軍と徳川家康(とくがわ いえやす、1543~1616年)率いる東軍により繰り広げられた。この戦いの発端は、豊臣秀吉(とよとみ ひでよし、1537~1598年)の死後に発生した豊臣政権内部の政争である。

関ケ原の戦いは、西軍有利の展開で進んでいたといわれている。しかし、小早川秀秋(こばやかわ ひであき、1582~1602年)の裏切りにより状況は一変する。これにより一挙に東軍が優勢となり、奮闘むなしく西軍は敗北する。

この戦役の結果、勝者である徳川家康は強大な権力を手に入れ、秀吉没後の豊臣政権を構成していた五大老(ごたいろう)・五奉行(ごぶぎょう)体制は崩壊した。家康の権力掌握は徳川氏を中心とする江戸幕府の成立に繋がり、幕藩体制確立への道筋が開かれることになった。

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