投稿タグ ‘大暑’

うだるような暑さが続きます

taittl容赦なく太陽が照りつけ、うだるような暑さが続くころです。軒先に風鈴を下げて音で涼を感じたり、窓に葦簀かけて日差しを避け、夜には川に船を浮かべて風に当たるなど、知恵と豊かな感性で、自然の中に涼を見つける納涼文化がありました。土用ウナギなどの食養生も、猛暑を乗り切るための習わしでした。梅雨が明けて、立秋までの土用の間に行われるのが土用干しです。「大暑」は次の「立秋」までの間の7月23日から8月7日頃までの期間です。

skehai yudachi 夕立:午後から夕方にかけて雷を伴った大雨を降らせることがあります。夕立が去ると打ち水をしたように気温も下がって過ごしやすい夜を迎えられます。蒸発していく雨の香りを楽しんで美馬d庄。

■七十二候の区分

syokou taisyokou 桐始結花(きり、はじめてはなをむすぶ)7月23日から7月27日頃まで。 桐が天に向かって花を咲かせ、卵型の実をつけるころ。桐は神聖な機とされます。
sjikou taijikou 土潤溽暑(つち、うるおうてむしあつし)7月28日から8月1日頃まで。 熱気がまとわりつき、蒸し暑さが増すころ。草木は太陽の光をいっぱい浴び、濃い緑に色づきます。
matukou taimakkou 大雨時行(たいう、ときどきにふる) 8月2日から8月7日頃まで。 夏は時に激しい雨が襲ってきます。入道雲が湧き上がってくると夕立のサイン。暑さが流され、ひと時の清涼をもたらします。

■旬のもの

syokuzai

myougab みょうが:ほのかな苦み、しゃきっとした歯ざわりが特徴。インド・中国にも野生種はあるが、食用にしているのは日本だけ。食欲増進・解毒効果もあるので、夏バテにも効きます。
suika すいか:中国を経て、日本に渡ったのは平安時代だと言われます。約90%が水分で10%近くが糖分。利尿作用があり、老廃物の排出を促す、カリウム、シトルリンが多く含まれます。
okoze おこぜ:グロテスクな容貌を持ち、背びれの針に毒をもっています。定番料理としては薄造り、唐揚げ、味噌汁などにするとおいしい。
tachiuo 太刀魚:北海道以南の海に分布し、する々口でいかやたこなどをエサにします。新鮮なものは刺身で食べたり、塩焼きでも美味しい。
iwasi いわし:腹の上部に黒い点が7個程度あるので「ななつぼし」とも呼ばれます。群れを作って回遊するのでまとめて大量に捕れます。とても傷みやすい魚なので注意が必要です。

syachou

yotaka 夜鷹: 夏鳥として飛来します。フクロウと同様に羽毛が柔らかく、ふわふわと羽ばたき羽音をたてずに飛びます。全身が枯葉模様で身を守ってくれます。
usuba うすばかげろう: 幼虫は縁の下にすり鉢状の巣を作る蟻地獄。成虫はとんぼに似ており、昼間は葉の陰などにじっととまっているが、夜になると活発に動き始めます。夏の明け方、網戸に止まっている姿が見られます。

skusa

matuyoi 待宵草:原宵を待って花が咲くことからこの名がついたと言われます。荒地や、やせ地、放置された畑や路肩のような場所に生え、ほかの植物が成長すると姿を消すそうです。

sgyouji

sumida 隅田川の花火大会: 隅田川花火大会は、東京都の隅田川沿い(台東区浅草(右岸)・墨田区向島(左岸)周辺)の河川敷において毎年7月最終土曜日に行われる花火大会です。毎年8月に開催される江戸川区花火大会とともに東京二大花火大会の一つに数えられます。

その前の名称は、「両国の川開き」という名称で、昭和36年まで打上場所は両国橋上流で行われていました。しかしながら、交通事情の悪化等に伴い翌年以降は開催ができなくなりました。今に伝わる「隅田川花火大会」の名称は昭和53年からと意外と新しい名称です。ビルで囲まれた隅田川で復活しました。

また、打上場所もさらに上流へ移動し、打上会場も2ヶ所となりより多くの方々に観ていただける配慮が施されました。

花火の打ち上げは、最初期は鍵屋が担当しました。歴史は鍵屋のほうが古く、江戸での創業は1659年。7代目鍵屋の番頭(玉屋清吉、のちの玉屋市兵衛)が暖簾分けで、1808年に玉屋を創業し、2業者体制となり、双方が腕を競いあっていました。

鍵屋と玉屋は異なる打ち揚げ場所から交互に花火を揚げたため、観客は双方の花火が上がったところで、良いと感じた業者の名を呼んだ。これが、花火見物でおなじみの「たまやー」「かぎやー」の掛け声の由来といわれます。当時評判がよかったのは玉屋のほうで、「玉やだと又またぬかすわと鍵や云ひ」と川柳にあるように、玉屋の掛け声ばかりで鍵屋の名を呼ぶものがいない、といわれた時代もある。ただし、玉屋は幕末期(1843年)に失火事故を起こし、半丁ほどの町並みを焼失させた罪で、江戸処払い(追放)を命じられ、1代限りで断絶した。ただし、その後も江戸のすぐ近くで細々と営業していたという説もあります。一方の鍵屋は、日本最古の花火会社「株式会社宗家花火鍵屋」として現存している。因みに、それまで難しい技術とされていた、同心円状に飛散する花火を明治期に及させたのが鍵屋です。

nebta ねぶた祭り:
「ねぶた祭」は主に青森県の各地で行われ、明かりを灯した巨大な灯籠(=ねぶた)を山車に乗せて練り歩く大変華やかなお祭りです。その起源は奈良時代の七夕祭りまで遡ると言われており、地元の多くの人にとって一年で最も重要なイベントとされています。
中でも青森ねぶた祭は毎年200万人以上を動員し、仙台の七夕祭り、秋田竿燈(かんとう)祭りと並んで東北の三大祭りに名を連ねる大人気のお祭りです。
「ハネト」と呼ばれる踊り手がねぶたの周りを取り囲み、お囃子の音に合わせて元気よく飛び跳ねる姿を一目見ようと、全国からの観光客で賑わいます。ねぶた祭りの主役はもちろんねぶたを乗せた山車ですが、青森ねぶた祭ではこれを盛り上げる「ハネト」が大変重要な役割を果たしています。ハネトは「跳人」と書き、文字通り飛び跳ねる人を指します。
お囃子のリズムに合わせて元気よく飛び跳ね、「ラッセーラー!ラッセーラー!」と掛け声をかけながら山車と共に練り歩くハネトは常に人気の的なのです。
その他にも、青森県内だけでなんと40以上の地域で、同様のお祭りが開催されています。
ねぶた祭は、奈良時代に中国から伝わった七夕祭りと、もともと津軽にあった精霊送りなどの行事が融合・変形したものだという説が有力なようです。七夕では小さな灯籠をそっと川に流すのに対し、こちらのねぶた祭は高さ4~5m、幅9mあまりの巨大な灯籠(ねぶた)が街を練り歩くのです。「ねぶた」の語源についても諸説ありますが、農作業の忙しい時期に疲れからくる眠気に負けないように「眠気を流す」→「ねむた流し」…と訛っていき、「ねぶた」または「ねぷた」と言われるようになったとの説が有力です。
ねぶた祭の多くは7~8月の間、青森県内の各地で行われています。

容赦なく太陽が照りつける時季です

taittl容赦なく太陽が照りつけ、うだるような暑さが続くころです。軒先に風鈴を下げて音で涼を感じたり、窓に葦簀かけて日差しを避け、夜には川に船を浮かべて風に当たるなど、知恵と豊かな感性で、自然の中に涼を見つける納涼文化がありました。土用ウナギなどの食養生も、猛暑を乗り切るための習わしでした。梅雨が明けて、立秋までの土用の燗に行われるのが土用干しです。「大暑」は次の「立秋」までの間の7月22日から8月6日頃までの期間です。

skehai yudachi 夕立:午後から夕方にかけて雷を伴った大雨を降らせることがあります。夕立が去ると打ち水をしたように気温も下がって過ごしやすい夜を迎えられます。蒸発していく雨の香りを楽しんで美馬d庄。

■七十二候の区分

syokou taisyokou 桐始結花(きり、はじめてはなをむすぶ)7月22日から7月27日頃まで。 桐が天に向かって花を咲かせ、卵型の実をつけるころ。桐は神聖な機とされます。
sjikou taijikou 土潤溽暑(つち、うるおうてむしあつし)7月28日から8月1日頃まで。 熱気がまとわりつき、蒸し暑さが増すころ。草木は太陽の光をいっぱい浴び、濃い緑に色づきます。
matukou taimakkou 大雨時行(たいう、ときどきにふる) 8月2日から8月6日頃まで。 夏は時に激しい雨が襲ってきます。入道雲が湧き上がってくると夕立のサイン。暑さが流され、ひと時の清涼をもたらします。

■旬のもの

syokuzai

myougab みょうが:ほのかな苦み、しゃきっとした歯ざわりが特徴。インド・中国にも野生種はあるが、食用にしているのは日本だけ。食欲増進・解毒効果もあるので、夏バテにも効きます。
suika すいか:中国を経て、日本に渡ったのは平安時代だと言われます。約90%が水分で10%近くが糖分。利尿作用があり、老廃物の排出を促す、カリウム、シトルリンが多く含まれます。
okoze おこぜ:グロテスクな容貌を持ち、背びれの針に毒をもっています。定番料理としては薄造り、唐揚げ、味噌汁などにするとおいしい。
tachiuo 太刀魚:北海道以南の海に分布し、する々口でいかやたこなどをエサにします。新鮮なものは刺身で食べたり、塩焼きでも美味しい。
iwasi いわし:腹の上部に黒い点が7個程度あるので「ななつぼし」とも呼ばれます。群れを作って回遊するのでまとめて大量に捕れます。とても傷みやすい魚なので注意が必要です。

syachou

yotaka 夜鷹: 夏鳥として飛来します。フクロウと同様に羽毛が柔らかく、ふわふわと羽ばたき羽音をたてずに飛びます。全身が枯葉模様で身を守ってくれます。

 

usuba うすばかげろう: 幼虫は縁の下にすり鉢状の巣を作る蟻地獄。成虫はとんぼに似ており、昼間は葉の陰などにじっととまっているが、夜になると活発に動き始めます。夏の明け方、網戸に止まっている姿が見られます。

skusa

matuyoi 待宵草:原宵を待って花が咲くことからこの名がついたと言われます。荒地や、やせ地、放置された畑や路肩のような場所に生え、ほかの植物が成長すると姿を消すそうです。

sgyouji

sumida 隅田川の花火大会: 隅田川花火大会は、東京都の隅田川沿い(台東区浅草(右岸)・墨田区向島(左岸)周辺)の河川敷において毎年7月最終土曜日に行われる花火大会です。毎年8月に開催される江戸川区花火大会とともに東京二大花火大会の一つに数えられます。

その前の名称は、「両国の川開き」という名称で、昭和36年まで打上場所は両国橋上流で行われていました。しかしながら、交通事情の悪化等に伴い翌年以降は開催ができなくなりました。今に伝わる「隅田川花火大会」の名称は昭和53年からと意外と新しい名称です。ビルで囲まれた隅田川で復活しました。

また、打上場所もさらに上流へ移動し、打上会場も2ヶ所となりより多くの方々に観ていただける配慮が施されました。

花火の打ち上げは、最初期は鍵屋が担当しました。歴史は鍵屋のほうが古く、江戸での創業は1659年。7代目鍵屋の番頭(玉屋清吉、のちの玉屋市兵衛)が暖簾分けで、1808年に玉屋を創業し、2業者体制となり、双方が腕を競いあっていました。

鍵屋と玉屋は異なる打ち揚げ場所から交互に花火を揚げたため、観客は双方の花火が上がったところで、良いと感じた業者の名を呼んだ。これが、花火見物でおなじみの「たまやー」「かぎやー」の掛け声の由来といわれます。当時評判がよかったのは玉屋のほうで、「玉やだと又またぬかすわと鍵や云ひ」と川柳にあるように、玉屋の掛け声ばかりで鍵屋の名を呼ぶものがいない、といわれた時代もある。ただし、玉屋は幕末期(1843年)に失火事故を起こし、半丁ほどの町並みを焼失させた罪で、江戸処払い(追放)を命じられ、1代限りで断絶した。ただし、その後も江戸のすぐ近くで細々と営業していたという説もあります。一方の鍵屋は、日本最古の花火会社「株式会社宗家花火鍵屋」として現存している。因みに、それまで難しい技術とされていた、同心円状に飛散する花火を明治期に及させたのが鍵屋です。

nebta ねぶた祭り: 「ねぶた祭」は主に青森県の各地で行われ、明かりを灯した巨大な灯籠(=ねぶた)を山車に乗せて練り歩く大変華やかなお祭りです。その起源は奈良時代の七夕祭りまで遡ると言われており、地元の多くの人にとって一年で最も重要なイベントとされています。

中でも青森ねぶた祭は毎年200万人以上を動員し、仙台の七夕祭り、秋田竿燈(かんとう)祭りと並んで東北の三大祭りに名を連ねる大人気のお祭りです。

「ハネト」と呼ばれる踊り手がねぶたの周りを取り囲み、お囃子の音に合わせて元気よく飛び跳ねる姿を一目見ようと、全国からの観光客で賑わいます。

ねぶた祭りの主役はもちろんねぶたを乗せた山車ですが、青森ねぶた祭ではこれを盛り上げる「ハネト」が大変重要な役割を果たしています。
ハネトは「跳人」と書き、文字通り飛び跳ねる人を指します。

お囃子のリズムに合わせて元気よく飛び跳ね、「ラッセーラー!ラッセーラー!」と掛け声をかけながら山車と共に練り歩くハネトは常に人気の的なのです。
その他にも、青森県内だけでなんと40以上の地域で、同様のお祭りが開催されています。
ねぶた祭は、奈良時代に中国から伝わった七夕祭りと、もともと津軽にあった精霊送りなどの行事が融合・変形したものだという説が有力なようです。
七夕では小さな灯籠をそっと川に流すのに対し、こちらのねぶた祭は高さ4~5m、幅9mあまりの巨大な灯籠(ねぶた)が街を練り歩くのです。
「ねぶた」の語源についても諸説ありますが、農作業の忙しい時期に疲れからくる眠気に負けないように「眠気を流す」→「ねむた流し」…と訛っていき、「ねぶた」または「ねぷた」と言われるようになったとの説が有力です。
ねぶた祭の多くは7~8月の間、青森県内の各地で行われています。

暑さが厳しくなる節季です

美猫子

おはようございます。昨日は久しぶりに蒸し暑さがなく安眠できた夜でした。
そして、今日7月23日からは暦の上では暑さが厳しくなる「大暑」の節季に入ります。
「大暑」については一つ前の投稿で親方が説明しているのでご覧になってください。

今日の各朝刊は選挙結果にかなり多くの紙面を割いていましたが、ようやく通常の状態に戻ってきたようです。毎日新聞には数独の中級が掲載されていました。そして親方が探してきた数独上級と難問の2題、計3題を紹介しますので、頭の体操をしてください。

【数独中・上・難3題】

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suuJ07_22 suuN07_22

猛暑が続きます

taisyottl容赦なく太陽が照りつけ、大地からは陽炎がユラユラと立ちのぼり、うだるような暑さが続くころ。人々は知恵と感性で、自然の中に涼を求めました。土用ウナギなどの食養生も、猛暑を乗り切るための習わしです。「大暑」は次の「立秋」までの間の7月23日から8月6日頃までの期間です。

skehai yudachi 夕立ち:昼間の強い日差しにより積乱雲が発生し午後から夕方にかけて雷を伴った大雨を降らせます。でも夕立が去ると打ち水をしたように気温も下がり過ごしやすい夜を迎えられます。

■七十二候の区分

syokou daisyokou 桐始結花(きり、はじめてはなをむすぶ)7月23日から7月27日頃まで。
桐が天に向かって花を咲かせ、卵型の実をつけるころ。神聖な木とされる桐は、日本国政府の紋章にも試用されています。
sjikou daijikou 土潤辱暑(つちうるおって、むしあつし)7月28日から8月1日頃まで。
熱気がまとわりつき、蒸し暑さが増ころです。草木は太陽の光をめいっぱい浴び、濃いい緑に色づきます。
matukou daimakkou 大雨時行(おおあめ、ときどきふる) 8月2日から8月6日頃まで。
5~6月夏は時に激しい雨が襲ってきます。ムクムクと入道雲が湧き上がると夕立が来るサインです。暑さが流され、ひと時の清涼をもたらします。

■旬のもの

syokuzai

okoze おこぜ:グロテスクな容貌を持ち、背びれの針に毒を持っている。しかし、定番料理としては薄造り、から揚げ、みそ汁などにすると美味です。
iwasi 鰯:腹の上部にはっきりとした黒点が、7個程度あるので「ななつぼし」とも呼ばれます。栄養満点で値段も安い点が、大衆魚としての地位を不動のものとしています。ただし、とても傷みやすいので注意が必要です。
tachi 太刀魚:銀色に輝き、細長く平たい体が本物の刀のように見えるユニークな魚です。鋭い口でいかやたこ、鰯などを餌にします。新鮮なものは刺身で食べられるが、塩焼きにしても美味しい。
isaki イサキ:身が太り、腹には白子や真子を抱えている時期です。特にイサキの真子は初夏限定の味覚として人気が高い。
suzuki スズキ:成長に合わせてセイゴ、フッコ、スズキと名が変わる出世魚。引き締まった白身は刺身、洗いで食べると格別美味です。
umi ウニ:5月ごろから味が良くなり、お盆ごろまでが食べごろです。生はもちろん、蒸したものも美味です。
myouga みょうが:ほのかな苦味、シャキッとした歯ざわりが特徴。食用にしているのは日本のみです。香り成分は食欲増進などに効果がります。解毒作用もあるので、夏バテにも効きます。
suika すいか:中国を経て、日本に渡ったのは平安時代だといわれています。約90%が水分で10%近くが糖分。利尿作用があり、老廃物の排出を促します。カリウム、シトルリンが多く含まれます。

syachou

usubakage ウスバカゲロウ:幼虫は縁の下にすり鉢状の巣をつくる蟻地獄。成虫はトンボに似ていて、昼間は葉の影などにじっととまっているが、夜になると活発に動き始めます。ぎこちなく飛び、明かりに集まってきます。
abura アブラゼミ:「ジリジリジリ・・・」という鳴き声は、まるで油が煮えたぎるようです。
yotaka 夜鷹:夏鳥として飛来します。ふくろうと同様羽毛が柔らかく、ふわふわと羽ばたき羽音を立てずに飛びます。全身が枯葉模様であり、それがカムフラージュとなって身を守っています。

skusa

yoimachi 待宵草:宵を待って穴が咲くことからこの名がついたといわれます。荒地や瘠せ地、放置された畑や路肩のような場所に生え、ほかの植物が成長してくると姿を消します。情緒的な姿から歌にも詠まれました。

sgyouji

nebuta ねぶた祭:東北三大祭りの一つ、「青森ねぶた祭」。青森市中心部を「人形ねぶた」と呼ばれる山車が運行し、「跳人(ハネト)」と呼ばれる踊り子たちが「ラッセラー、ラッセラー」と掛け声を上げながら踊り歩きます。毎年8月2~7日に開催され、全国から約300万人の観光客が訪れる青森の夏の風物詩です。
青森県内にはさまざまな「ねぶた・ねぷた」があり、扇型の山車を中心に運行する「弘前ねぷた」、高さ20mもの巨大な山車が特徴の「五所川原立佞武多(たちねぷた)」など、それぞれ異なる「ねぶた・ねぷた」で北国の短い夏を謳歌しています。その中でも最も知名度が高いのが、「青森ねぶた祭」なのです。
初日の8月2日と翌3日は、子どもねぶた・担ぎねぶたが参加。大型ねぶたと合わせて約30台が運行します。子どもねぶた・担ぎねぶたとは、地域の子どもや学生たち、町会が制作したもの。後継者育成や子どもたちにも参加する喜びを伝えるといった趣旨があるそうです。

うだるような暑さ到来です

taittl 容赦なく太陽が照りつけ、大地からは陽炎がユラユラと立ちのぼり、うだるような暑さが続くころです。つまり、1年間の中かでも最も気温が上がり暑くなる時期なのです。軒下に風鈴を下げて涼を感じ、窓に葦簀をかけて日差しを避けたりして、自然の中に涼を求めようとします。それが大暑です。「大暑」は次の「立秋」までの間の7月23日から8月6日頃までの期間です。

skehai kehai 夕立:昼間の強い日差しで積乱雲が発生し、午後から夕方にかけて雷を伴った大雨を降らせます。打ち水をしたように気温も下がり過ごしやすい夜を迎えられます。

■七十二候の候の区分

ssyokou syokou 桐始結花(きり、はじめてはなをむすぶ) 7月7日から11日頃まで。 桐が天に向かって花を咲かせ、卵形の実をつけるころ。
sjikous jikou 土潤溽暑(つち、うるおうてむしあつし) 7月12日から17日頃まで。 熱気がまとわりつき、蒸し暑さが増すころ。草木は太陽の光を浴びて、濃い緑に色づくころ。
smatukou makkou 大雨時行(たいう、ときどきにふる) 7月18日から8月6日頃まで。 夏は時に激しい雨が降ってくる。入道雲が湧き上がると夕立のサイン。暑さが流され、ひと時の清涼をもたらすころ。

■旬のもの

sgyokai

isaki イサキ: 身が太り、腹には白子や真子を抱えている時期です。特にイサキの真子は初夏限定の味覚として人気が高いのです。
suzuki スズキ: 江成長に合わせてセイゴ、フッコ、スズキと名が変わる出世魚です。引き締まった白身は刺し身、洗いで格別美味です。

syasai

ooba 大葉: 真夏に軟らかな葉を茂らせる。スッキリとした香りでそうめん、寿司、刺し身の薬味に最適です。
edamame 枝豆: ビールのおつまみににはやっぱり枝豆です。私は日本酒の冷酒にも枝豆だと思いますが。代謝を上げるビタミンB1が多いので、夏バテ予防にも最適と言われています。

smusi

kagerou うすばかげろう: 幼虫は縁の下にすり鉢状の巣を作る蟻地獄。成虫はとんぼに似ており、昼間は葉の陰などにじっと止まっていて、夜になると活発に動き始めます。夏の朝方、網戸にとまっている姿が見られます。
kabuto カブトムシ: ツヤツヤとした身体に立派な角。凛々しいオスのカブトムシは夏の虫の王様です。
abura アブラゼミ: 「ジリジリジリジリ・・・」という鳴き声は、まるで油が煮えたぎる音のようです。
アブラゼミの鳴き声を聞くと、暑さが一層増してくるような感じになります。

syacho

yotaka 夜鷹: 夏鳥として飛来する。ふくろうと同様に羽毛が柔らかく、ふわふわと羽ばたき羽音建てずに飛びます。全身が枯れ葉模様であり、それがカムフラージュとなって身を守っています。

skusa

ajisai 紫陽花: 6月から7月にかけて開花し、白、青、紫または赤色の萼が大きく発達した装飾花とよばれます。ガクアジサイではこれが花序の周辺部を縁取るように並び、園芸では「額咲き」と呼ばれる。ガクアジサイから変化し、花序が球形ですべて装飾花となったアジサイは、「手まり咲き」と呼ばれます。
なお、本種は有毒植物であるため、園芸や切り花として利用する際には取り扱いに注意が必要です。

skajitu

suika スイカ: 漢方や民間療法では、むくみ解消、解毒に活用されてきたようです。よく冷やして食べるのはさらに良し!です。
約90%が水分で残り10%が糖分です。

sgyou

hanabi 花火大会:旧隅田川の花火大会が有名です。
徳川吉宗のころ、隅田川で行われた水神祭りの際に両国橋付近の料理屋が幕府の許可を得て花火を打ち上げたことに由来します。浮世絵にもよく描かれ、伝統・格式ともに日本一の花火大会と言えます。
全国各地で大小さまざまな花火大会が催されています。普段着でもよいのですが、浴衣で出かければ夏の風情をもっと楽しめます。
浴衣はもともとは身体を清めるときの衣だったので、汗を吸うという機能面でも優れている、ということをご存知でしたか。

smaturi

tenjin 天神祭: 日本三大祭りの一つ。祭神である菅原道真の命日にちなんだ縁日で、7月24、25日に行われます。日本各地の天満宮で催されますが、大阪天満宮が有名です。
nebuta ねぶた祭り: 青森のねぶた祭が有名です。青森ねぶた祭は、青森県青森市で8月2日から7日に開催される夏祭りであり、毎年、多くの観光客が訪れまる。1980年に国の重要無形民俗文化財に指定されました。
起源としてよく知られていたのはのちに征夷大将軍となる坂上田村麻呂が陸奥国の蝦夷征討の戦場において敵を油断させておびき寄せるために大燈籠・笛・太鼓ではやし立てたことを由来とするものと言われています。このため、青森ねぶた祭りの最優秀団体に与えられる賞として1962年に「田村麿賞」(現在では「ねぶた大賞」)が制定されました。

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