2023年04月20日 アーカイブ

雨がたっぷりと降り注ぐ時期です

kokuttl雨は人々の生活にとっては重要などです。春の雨は、作物にとって恵みの雨。穀物の成長に欠かせない雨がたっぷりと降り注ぐこの時期を「穀雨」といいます。種まきの好機なのです。「穀雨」は次の「立夏」までの間の4月20日から5月5日頃までの期間です。

skehai chatumi 茶摘み:立春から数えて八十八日目の八十八夜。この日に初摘みするのがお茶農家の習わしです。八十八夜に摘まれる新茶は縁起物として珍重されます。

■七十二候の区分

syokou ksyokou 葭始生(あし、はじめてしょうず)4月19日から4月24日頃まで。 水辺の葭が芽吹き始める様子がまるで牙のようであることから「葦牙」(あしかび)と呼ばれます。
sjikou kjikou 霜止出苗(しもやみて、なえいずる)4月25日から4月29日頃まで。 暖かさが増し、霜も降りなくなり、苗が青々と育つころ。田植えの準備が始まって農家は活気に溢れ始めます。
matukou kmakkou 牡丹華(ぼたん、はなさく) 4月30日から5月5日頃まで。 百花の王とされる牡丹が咲くころになると、春もいよいよ本番。大きな花びらを広げるさまは、豪華で存在感タップリです。

■旬のもの

syokuzai

harukya 春キャベツ:スタミナ野菜の代表格で、カロテン、ビタミンEなどが豊富。疲労回復に役立ちます。根元の白い部分まで食べると良いとされています。虫刺されや切り傷など、外用にも有効です。
singoboul 新ゴボウ:お初夏に収穫する若採りの新ゴボウは、柔らかくて香りが上品です。サッとゆでてサラダや和え物でいただくと美味です。
mebaru メバル:その大きな目から「眼張る」と呼ばれたのが名前の由来です。春告魚とも呼ばれるメバル。上品な白身で刺身はもちろん、煮物や焼き物にしても絶品です。
ainame あいなめ:オスは産卵期には橙黄色に変わります。また、鮎のように縄張りを持つことで知られています。
骨が多いので、調理は骨切りをして使わなければなりません。刺身や塩焼き、煮魚や唐揚げなどどんな料理にも向いています。
sazae サザエ:周年採れるが初夏の産卵前が旬とされます。殻ごと焼いたつぼ焼きは磯の風味をたっぷり味わえます。
kegani 毛ガニ:よ採れる場所によって旬が異なりますが、流氷が明けた春~初夏にオホーツク海で漁獲されるものは特に美味とされます。
sinchal 新茶:その年の最初に育成した新芽を摘み取って製造したお茶のことで、立春から数えて八十八日目前後に茶摘みが盛んに行われれます。摂取すると古くから無病息災で過ごせるという言い伝えがあります。

skusa

tutuji ツツジ:日本では古くから園芸品種として多くの品種が生み出され、白、ピンク、赤、斑入りなどがあります。
botan 牡丹:中国では「花の王」として愛され、新年を祝う花としても珍重されました。日本に渡来したのは奈良時代で、平安時代にはすでに栽培されていたといわれます。
「立てば芍薬、座れば牡丹」などといって、女性の美しさの例えに用いられています。
sibazakura 芝桜:地面を覆い尽くすように密生し、咲き誇るようすはまるで花のじゅうたんを敷き詰めたようです。

sgyouji

hachijuu 八十八夜: 2023年は5月2日が八十ハ夜です。遅霜が発生する時季で、農家は注意が必要です。 米農家にも重要な日とされ、神事が行われたそうです。 この頃にできる苗代でその年の米の出来が決まるといわれています。 八十八夜といえば新茶のイメージ! 八十八夜は茶摘みを行う目安でもあったため、季節の話題として茶摘みをする様子が見られます。 八十八夜のすぐあとに立夏がやってきます。そこで、八十八は末広がりの縁起のいい数字でもあるため、夏じたくを始める吉日として親しまれてきました。
tango 端午の節句: 男の子の健やかな成長を願うお祭りとして広く親しまれているのが、5月5日の端午の節句です。端午とはその月の最初の午(うま)の日を指していますが、午と五が同じ音であることから、5日のことになり、やがて5月5日になったという説があるようです。 そして古代中国の風習が導入され、日本にあった田植えの時期に薬効のある植物の蓬(よもぎ)や菖蒲(しょうぶ)を飾って厄除けとする風習が交じり合って、日本における端午の節句の風習の原型ができたといわれています。また、菖蒲を浸した酒を飲んだり、粽(ちまき)や柏餅を食べるという風習もできました。こうした端午の節句の風習は、奈良時代にまでさかのぼると考えられています。 ■男の子のお祭りになった端午の節句 奈良・平安時代の端午の節句は、軒に蓬や菖蒲を挿し、子供たちが小弓を引いたり、印地(いんじ)と呼ばれた石を投げ合う遊びが行われました。やがて、武家が支配層となり、都市や城下町に集住するようになった江戸時代に入ると、端午の節句は武家の男の子のお祭りとなりました。端午の節句にお約束の菖蒲は、武勇を尊ぶという意味の「尚武」と音が通じることから男の子のお祝いの日になったといわれています。また、町人など庶民が力をつけて豊かになっていったのも江戸時代ですから、男の子の成長を祝う端午の節句は、江戸時代を通じて武家以外にも広まっていきました。そうして、立身出世を願って鯉のぼりを飾り、強くたくましく育つようにと武者人形を飾る風習が新たに生まれました。 ■屈原の霊魂を慰めるものだった粽(ちまき) 餅米などの粉を水で練って蒸したものを、熊笹や菖蒲の葉などで包む粽は、古代の中国は戦国時代の楚という国の人、屈原に由来します。国を想って王様を諫めたものの聞き入れられず、やがて追放されて失意の内に端午の節句の日に、川に身を投げたという人で、忠臣として名高い人です。この屈原の霊魂を慰めるため、当時の人々が竹筒に米を入れて川に投げたのが粽(ちまき)の由来とされています。
■子孫の絶えない願いが込められた柏餅 粽(ちまき)に並んで、柏餅も端午の節句の重要な食べ物です。柏の葉は新しい葉の芽が出ないと古い葉が落ちません。そこから、子孫が途絶えることなく代々続くようにという縁起物になりました。
dontaku 博多どんたく:「博多どんたく」は、治承3年(1179年)に始まったと筑前国続風土記に記されている「松ばやし」をその起源とする凡そ830年余の伝統行事である。

今から400年前、筑前の領主となった小早川秀秋の居城へ博多の町人が松囃子を仕立て年賀のお祝いに行ったと記されている。その後、黒田藩の城下町となった「福岡」と博多町人の町「博多」との二つの町が270年間、博多松囃子を通じて交流している。明治12年に「博多どんたく」と呼ばれるようになった。オランダ語のZondag(ゾンターク、休日の意)がその語源と言われている。
戦時中、一時中断されたが、戦後の昭和21年5月、「松ばやし」と「どんたく」が8年ぶりに復活。肩衣を紙で作り、馬はハリボテを首から胸に下げ、三味線、太鼓などは戦災を免れたところから借り集めて、“博多どんたく”のおはやしを瓦礫の町に響かせながら練り歩いたことが、復興へ大きな勇気を与え、翌年22年には福岡商工会議所が中心となって、戦後初めてのどんたくを開催した。その後、年に一度の無礼講の行事として年々盛んになっていった。
昭和37年、「どんたく」は、市民総参加の『福岡市民の祭り「博多どんたく港まつり」』となり、現在に至る。
毎年5月3・4日の2日間、老若男女が思い思いの仮装でシャモジを叩いて町を練り歩き、町に作られた舞台、広場で踊りを披露し、町中がどんたく一色で湧き返る。
参加どんたく隊のべ約650団体、出場者約3万3千人、見物客約200万人、春のゴールデンウィーク期間中、日本で一番の祭りといわれるようになっています。