2015年05月 アーカイブ

5月の締めで・・・

自然の驚異を感じさせられましたね。

・5月29日口永良島の新岳で爆発的噴火が発生し、島民全員が島外に避難を強いられたそうです。普段の避難活動訓練のお陰で全島民は無事屋久島に避難することができたそうです。
ただ、避難生活が何時まで続くのか不明なので避難島民は精神的に辛いでしょう。このようなときに国民を守る立場にある政府はあまり役に立ちませんから。

・5月30日午後8時20分過ぎ小笠原諸島西方沖を震源とする地震がありました。
当地でもかなり強い揺れを感じました。震度は3~4程度だったそうですが。
東日本大震災に次ぐ大きな地震であり、深さ590キロという極めて深い場所で発生し地震の規模も大きいのは例がないそうです。

この地震の揺れのせいが大きいと思いますが、今朝起きてみて落下する梅の実の数が平日の数倍もあったことにビックリしました。

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ここ2~3日に落ちた実を集めたものです。ところが今朝は、

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コンクリートの上、土の上3カ所にこれだけの実が落ちていました。2~3日分の量よりも遙かに多いのは間違いありません。
直径2センチ位の大きな実なので勿体ないと思いました。

・5月31日、つまり今日ですが、5月最後の日曜が当団地の「ゴミゼロの日」なのです。今年は1日遅れの「ゴミゼロの日」なのです。
少し早めに活動を開始し、庭の梅の実を整理し午前8時から町内一斉に清掃作業を行いました。近所の方の手助けも受けて短時間に綺麗になりました。

明日から6月です。自然災害に見舞われなければ良いのですが。ただ人的災害は永田町から訪れてきそうですが。

舟を編む

表題の「舟を編む」は辞書の編集を題材にした、三浦しおんさんの作品で「CLASSY.」(光文社刊)の2009年11月号から2011年7月号に連載されたものです。

そして2011年9月(光文社刊)に単行本として発売され、2015年3月(光文社刊)文庫本として発売されました。

最近この本が話題になっているようで、この本の新聞広告をしばしば目にします。
辞書の編纂作業は気の遠くなるような編集・改訂作業のくり返しになるようですね。

今日は月曜日で毎日新聞の「週刊漢字」掲載日です。
今日のお題は辞書の編集に携わった人の名前です。何と読むか?そしてどの辞書の編集に携わった方なのかが分ければ完璧です。
最近オッサンは調べ物をするために辞書を紐解くことがほとんどなく、もっぱらWeb検索に頼っているので全く分かりませんでした。

新村出

上田万年

見坊豪紀

分からなくても恥じゃないと思いますよ。次の答をどうぞ!

(さらに…)

もしも・・・ならば

5月21日の読売新聞朝刊の「編集手帳」に、5月19日に兵庫県南あわじ市(淡路島)で見つかった銅鐸7個が見つかったことに関しての記事が掲載されていました。

(前略)兵庫県南あわじ市(淡路島)で彌生中期(紀元前2世紀頃)の銅鐸が7個見つかった◆一度に大量に埋められた最古の例だという。そのうち3個には内部につるして銅鐸を鳴らす青銅製の棒「舌」が付いていた。銅鐸の用途や起源はいまなお古代史のミステリーだが、(中略)◆もしも埋められた銅鐸が古代人にとって、いざというときに鳴り響くようにと祈りをこめた緊急地震速報の装置だとしたら・・・

ひょっとしたら古代人のタイムカプセルかもしれないという発想はロマンがあって楽しいし、現実火山の活動などで温泉地や行楽地に被害が及んでいることを考えるとロマンとは言い切れない恐ろしさを含んでいるようでもありますね。

淡路島で見つかった銅鐸7個は次のようなものだそうです(毎日新聞掲載)。

dotaku_0520

左下の3本の棒状のものが「舌」だそうです。なお、左上の女性は現代人で銅鐸ではありませんので念のため(断るほどではありませんね)。
そして舌の付いた銅鐸をイラストにしたのが次のものです。

dotaku

これらの銅鐸が今から23世紀も以前に造られたということも驚きだし、当時の人達はこれらの銅鐸を何の目的でどのようにして使ったのか?、いろいろと考えるだけでも楽しいですね。

小満って?

少し満足(あるいはほっと一安心)という意味合いかもしれません。
農耕が主だった時代には、秋にまいた麦の種などが、ちょうど穂をつける時期でもありました。穂が出始めた麦を見て「今年は順調に育っている」と、ほっと一安心(少し満足)したという説があります。

七十二候や二十四節気では5月21日ごろから6月4日ごろまでを「小満」と呼び、陽気がよくなり、草木などの生物が次第に生長して生い茂る。つまりは、全てのものがしだいに成長して、天地に満ち始める頃を表した言葉です。

七十二候では「初候」、「次候」そして「末候」に分けられています。
初候は「蚕起きて桑を食う」(蚕が、桑の葉をいっぱい食べて育つころ)
次候は「紅花栄う」(紅花がいちめんに咲くころ)
末候は「麦秋至る」(麦が熟して、収穫するころ)

ちょうどこの時期には、「木の葉採り月」という別名があります。
「このはとりづき」と読み、陰暦4月の異名で蚕に食べさせるための桑の葉を採る月という意味だそうです。
「田毎の月」、「五月晴れ」、「衣替え」、「麦嵐」といった言葉はこの時期の兆しとして使われることばです。

・「田毎の月」は、万葉集にも詠まれた長野県更級(さらしな)郡冠着(かむりき)山のふもとの小さな水田の一つ一つに映る名月のことで田植えの頃にしか見られない風景です。万葉集にも詠まれています。
冠着山は姥捨て山とも呼ばれ、いにしえより姨をこの山に捨てた男性が、名月を見て後悔に耐えられずに連れ帰り、さらに連れ帰り隠していた姨の知恵によって、殿様の出す難題を解決。その後、老人を大切にしたと伝えられているそうです。
・「麦嵐」とは、初夏、麦の収穫の頃に吹きわたるさわやかな風。麦の秋風とも言います。
「五月晴れ」「衣替え」は説明するまでもないでしょう。

例によって旬の魚介などの紹介もしておきましょう。

◆旬の魚介 きす、クルマエビ、べら

kisu kurumaebi

akabera
◆旬の果実 びわ
biwa

◆旬の野菜 そらまめ、しそ

soramame aosiso

◆旬の虫 てんとうむし
tentoumusi

◆旬の野鳥 しじゅうがら
sijuugara

◆旬の草花 紅花
benibana_008

◆旬の行事 三社祭、潮干狩り
改めて説明するまでもないでしょう。最近潮干狩りができる浜辺が少なくなったようです。 三社祭も潮干狩りに行ったのは遠い昔のことです。

 

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